2025年10月24日 東京新聞 朝刊 朝刊茨城版 16頁 見出し。 バドミントン沼倉昌明選手40歳、千紘選手35歳。 四刀流の夫婦集大成に。 子育て、研究、仕事…ラリー 見出しここまで。 用語説明ここから。 デフバドミントン。聴者の競技とルール上の違いはない。ショットの音が聞こえないうえに、ダブルスでは前衛の選手に後衛の動きの音や声が分からず、目で見ての反応が重要となる。 会場は東京都調布市の京王アリーナTOKYO(武蔵野の森総合スポーツプラザ)。昌明選手は男子ダブルス(11月17、20、21日)、混合ダブルス(18,20,21日)、混合団体(23~25日)に出場。千紘選手は混合ダブルスと混合団体。 ここまで。 本文ここから。 挑む。「スパーン」というスマッシュの音は聞こえない。ペアの相手の位置や動き、ショットの強さ、高さは見ないと分からない。ダブルスでペアを組む2人は6年半前に結婚。「互いに何を考えているのか分かる」といい、今大会は出場全種目で表彰台を狙う。  代表の小堀知史監督は「昌明選手の冷静な判断、千紘選手の集中力が光る。夫婦ならではの信頼関係と息の合った連係で、メダル獲得も十分期待できる」と評価。米本佳代コーチは「2人とも負けず嫌いで、流れが傾きそうでも崩れない。最年長ということもあり、周囲への配慮などとても頼れる」と語る。  中学1年で「ほかに部活がなくて」北海道で競技を始めた昌明選手。「暑いし、きつい。でも中学校の最後に当時の彼女に振られ、競技を頑張ろうと思った」。好きなコンピューターを学べ、ろう者への情報が保証された筑波技術短大(当時)へ。近くの筑波大のバドミントン部に入ったが、周りのレベルが高くて競技を離れた。  千紘選手は両親が経験していたのと、地元の新潟県長岡市に新しいクラブができたのを機に、小学5年で競技を始めた。6年生で市大会優勝。高校では聴者と共に競技し、県8強に入った。ろう学校教員の父親の勧めで筑波技術大へ。  当時就職していた29歳の昌明選手が「強い女子が大学に入った」と知り、既に日本代表入りしていた千紘選手に「試合しませんか」とフェイスブックで連絡。負けた昌明選手は悔しくて、10年のブランクを経て競技を再開した。  ペアを組んでデフリンピックに出場するのは、2017年のトルコ大会が最初。18年4月に結婚し、前回ブラジル大会では夫婦で団体銀メダルを獲得した。今大会は、23年7月に長男碧ちゃん(2)が生まれてから初の大舞台。競技、子育て、大学院での研究、リモートワークの「四刀流」で闘う。  千紘選手は育休中で、夫婦の拠点は妻の実家がある長岡市。昼間は葵ちゃんを託児所などに預け、夫婦で地元の体育館で練習。食事、家事、リモートワーク、大学院の研究、買い物の後、夜は社会人選手と練習する。土日は高校の練習に参加するほか、月1回は2泊3日程度で合宿もある。  6カ月までは授乳のため、碧ちゃんを遠征や合宿に連れて行った。育休中で保育所に預けられず、認可外の託児所を苦労して探した。週に4日は祖父母宅に預けられる碧ちゃんは競技を理解していないようだが、親がバドミントンの服装をすると、祖父母のところに行くと分かるという。  今大会に間に合わせるため、出産翌月にはラケットを持った千紘選手。出産で変わった体を元に戻すトレーニングを月数回積んだ。「高校まで聴者と競技し、聞こえないことをネガティブに受け止めていた。でも、競技や仕事での人との出会いが宝物になった」という。「夫が決められるようにラリーをつくる。4年後は39歳。今大会を集大成にしたい」と意気込む。  昌明選手は「子どもが生まれてからは時間が貴重になり、練習に集中するようになった」と話す。「自分には経験がある。相手によって戦略を変える『引き出し』」は多い」と胸を張る。「年齢から、これ以上強くなるのは難しい。今大会が一区切り」と、9月から7㎏絞った体で大会に臨む。 ぬまくら・まさあき 1985年、北海道小樽市出身。生まれつき聴覚障害がある。筑波技術大大学院産業技術学専攻2年。ダブルス後衛の動きをスクリーンに映し、選手への情報を保障する研究を続ける。トレンドマイクロ所属。出場3回目。身長179センチ。好きな食べ物は焼き肉、ラーメン。趣味はパン店巡り、読書、料理。 ぬまくら・ちひろ 1990年、新潟県長岡市出身。高熱が原因と思われ、3歳の頃に失聴。筑波技術大大学院情報アクセシビリティ専攻1年で、競技中の目の動きの聴者との違いを研究中。埼玉県立坂戸ろう学園所属。4回目の出場。身長165センチ。好きな食べ物はすし。趣味は旅行。 本文ここまで。 写真の説明。 強化合宿で汗を流す沼倉昌明選手と妻の千紘選手。 説明ここまで。 テキストここまで。