見出しここから。 身体能力高い「末っ子」。 競技始め2年で代表入り。 見出しここまで。 本文  競技中は汗がかかるのが嫌で、練習でも補聴器を外す。相手選手が近づいているのに気付かず、失点することもある。味方選手の近くで大きな声で話し、監督とは手話通訳を介してコミュニケーション。決めてある戦術に従った自分の判断やアイコンタクトで、相手チームがどう攻めてくるかを考えながら動く。  持ち味を、相手守備の外からのディスタンスシュートに見出す。海外と初めて対戦する。体格のいい相手に「自分のシュートが通用するのか」という不安が付きまとう。5月の合宿でシュートがまったく入らず、攻撃の選択肢を見失った。上手な選手の動画を繰り返し見て、1プレーごとに先輩に「今の、どう思いました?」と助言を請い、吸収し、自信につなげる。  生後間もなく音に反応しないことに親が気付き、4歳から左耳に補聴器をつけている。右耳はほぼ聞こえない。茨城県・筑波技術大への進学は中学3年の時の担任が「数学が好きなら、どう?」と勧めた。ろう者が集まる大学と知り、安心して過ごせると思って入った。  中学、高校で卓球。大学では野球やバスケットボール、バレーボールなどで「遊んでいた」。2年生の夏、デフリンピック出場を目指し、学内サークルをつくった小林優太選手 24歳から「日本代表に興味ない?」と誘われた。サークル顧問の中島幸則教授 63歳から毎日のように「運動能力が高いから、やってみな」と声をかけられた。当時、ハンドボールを知らなかった。  最初は断っていたが「熱く誘われ」夏休みの体験会で遊び感覚でやってみた。「いろいろなスポーツの要素が融合していて、シュートが決まると気持ちいい」とサークルへ。代表チームに立ち上げから関わる中村有紀チームリーダー 48歳が言う。「何をやっても器用。最初に彼のプレーを見た時、他の選手と明らかに違った。『ハンド、やるよね?』と巻き込んだ」  小林選手の卒業後はサークルが母体のクラブに移り、クラブでの成績や強化合宿の成果、選考会を経て6月、競技を始めて2年で代表に選ばれた。「入れると思っていなかった。世界と対戦するイメージがまだ湧かない」  代表の亀井良和監督 57歳は「身体能力が非常に高い。相手守備陣に切り込む、点取り屋の役割を」と期待する。一方で「まだボールを失うミスが多い」と若さを指摘する。  経験値は明らかに少なく「自分のプレーに迷いがある。パスするべき場面で無理にシュートを打ったり、パスできるときにしなかったり。好機をつぶしたことに後で気付く。決断力が課題」と自己分析。「今大会は通過点。試合が終わっても、自分の課題は終わらない。世界に初挑戦した後の反省や対策を、4年後に生かしたい」。代表チーム最年少の「末っ子」の視野には次回大会も入っている。 はやし りょうや 2004年、東京都東村山市出身。身長180センチ。小学校は聴者と同じ地元校で、中学高校は杉並区の中央ろう学校。筑波技術大産業技術学部支援技術学コース4年。キャンパス内の寄宿舎で生活し、会合で誰が発話しているのかを示すシステムを研究している。寿司が好きだが、バイト先はイタリア料理店。趣味は音楽鑑賞と「推し」を見ること。 本文ここまで。