2025年12月18日 東京新聞朝刊 朝刊茨城版18頁 東京2025デフリンピック 刻む編(中) 意思疎通「相手思い、工夫を」 テコンド-女子 型 銅メダル・星野選手 満席の会場 応援に感謝 本文ここから 「メダルを首にかけられた瞬間、その重さに思わず涙がこぼれた」。テコンドー女子プムセ(型)で銅メダルを獲得した星野萌選手(21)=筑波技術大4年、阿見町=が語る。「泣きながら続けた柔軟運動、周りとのコミュニケーションのずれ、代表合宿で置いていかれそうになった体力不足-。いろいろな思いが一気に巡りました」 メダルを最初にかけたのは、大会でセコンドを務めた近藤真弓コーチ(51)。初めての代表合宿で出会い、大会中は常に隣にいた。「できないことが多い自分に、できるまで何十回も何百回も丁寧に向き合ってくれて成長できたので、感謝を込めて」 小学5年で「アニメの格闘シーンのようでかっこいい」とテコンドーを始めたが、高校で進学した水戸聾学校(水戸市)の近くに道場がなく、競技を離れた。競技中は補聴器を外すため、聴者の選手たちとうまく会話できない疎外感もあった。大学に入り、同じ障害のある友人や中学までの師匠、新たなコミュニケーション手段と出会い、協議を再開した。 「世界の舞台へ」とトライアウトで日本代表となった後も、聴者の指導者との意思疎通に苦しんだ。代表選手となって1年半。「技術の難しさ以上にずっと思い悩んでいたのは、コミュニケーションだった」 今大会、デフテコンドーの日本代表は自分だけ。強くなりたい気持ちは聴者の選手たちと同じなのに、練習中の何気ない会話や指示の共有など、音声が前提のコミュニケーションでは同じ輪の中にいられないと感じ、つらかった。「相手の合図や言ったことの背景を会話で十分にくみ取れず、擦れ違いがあったことに後で気付くことも少なくなかった」という。 3位を確定させた直後のインタビューでは、同じ障害のある子どもたちへの言葉を求められ、手話で答えた。「コミュニケーションの方法はいろいろある。聴者もろう者も理解し合えれば、恐怖なく前に進めると思う。意思疎通が難しかったら、周りに相談して。できる範囲で、少しずつ」 試合当日、会場の東京・中野区立総合体育館は満席で、入場制限がかかった。「県内での大会の知名度は東京ほど高くなかったので、観客席はどうなるんだろうと不安だった」が、道場で一緒に汗を流した子どもたちも駆けつけた。 父親の友人たちは横断幕や特製Tシャツ、うちわで応援した。大会後の慰労会では、そのうちの1人が、「長く会えていなかった友人たちに会わせてくれて、感謝している」と手紙を読み、同じ手紙をそっと手渡した。文字でも伝えようという気遣いだった。 「うれしかった。これからはコミュニケーションの取り方を、改めて大切にしていきたい。相手を思い、工夫しようとする姿勢こそが、共に生きる社会への第一歩だと感じています」 本文ここまで 以下写真の説明 写真上 デフリンピックで演武する星野萌選手 写真中央 銅メダルを獲得し笑顔を見せる星野選手 いずれも東京・中野区立総合体育館で 写真下 演武を前に笑顔を見せる星野選手