2025年12月17日東京新間朝刊朝刊茨城版16頁 東京デフリンピック2025 刻む編(上) ハンドボール男子代表 障害「プレゼン」で理解 本文ここから 11月の東京デフリンピックが世界の初挑戦だったハンドボール日本代表は「まず一勝」の目標を、最終戦で達成した。チーム最年少で筑波技術大(つくば市)4年の林遼哉選手(21)が涙を流した。「家族みたいなこのチームで戦うのが最後だと思うと寂しい」 3年前に結成された同大のサークルが母体の代表チームは、手話主体のろうの選手と音声主体の難聴の選手、聴者のスタッフ、手話通訳者が支え合って大会に臨んだ。しかし、「多様性」がゆえの困難が、チームに立ちはだかることもある。 過去の大会では他競技で、聴者の指導者とろうの選手との摩擦や、手話を使うか使わないかでの選手間の分断が起きた例がある。筑波技術大の元教員でハンド代表に当初から関わった中村有紀(ゆき)チームリーダー(48)が明かす。「うちも分裂寸前になり、ヒヤッとしたことはあった」 トライアウトで選手がそろった昨夏以降、ろうの選手から不満が出始めたという。「少し聞こえる難聴の選手を、スタッフが優遇しているのでは」「短くシンプルに指導してもらわないと分からない」 中村さんは「ハイレベルな指導者が入り、強化色が急に強まったころだった。選手の間には競技の優先度に違いもあり、不満につながったのでは」と振り返る。 サークル結成を提案し、大会の選手強化を担った中島幸則教授(63)が「ポイントになった」というのが、今年5月の大型連休中の強化合宿。チーム全選手・スタッフを前に、選手らが自身の障害を「プレゼン」する時間を設けた。 「相手の立場で考える観点が抜けているから、不協和音が起きるのでは」と考えた。東京都立中央ろう学校(杉並区)体育教諭の淺井圭太選手(33)は手話やパワーポイントで、ろう者が経験することを例示。ろうの選手が感じる「心のバリアー」を説明した。「全選手が対等に情報を受け取れ、対等に評価し合えるチームを作りたい」「大会ではさまざまな立場を超えて一つのチームとして挑む姿を見せたい」と訴えたかった。 中島教授は「補聴器をつけるとどう聞こえるのか」など聴覚障害を開設。「他に話をしたい人は?」と選手らに呼びかけた。何人かが手を挙げ「人口内耳でも、すべて聞こえるわけではない」「自分は難聴だが、補聴器を外している時は、ほとんど聞こえない」などと打ち明けた。 中島教授は大会後「コミュニケーションをしっかり取ろうという意識ができた。その日の午後の練習では、雰囲気が少し良くなったと感じた選手もいたと聞いている」と振り返った。 「ろう者との会話や指導では手話がいちばんだが、声で伝える時はゆっきりはっきり口の形が見えるようにし、目を合わせる。障害を知り、理解してから関わるという順番が大切です」  合宿では、音声を文字で表示するモニターを置き、試合中はホワイトボードや、指導者が首から下げた端末の活用などを試みた。聴者のスタッフが提案した。 亀井監督「一つの魔法なかった」 亀井良和監督(57)は夏以降、手話を多用するようになった。チームをまとめた工夫を問われ、こう答えた。「意思疎通を図ろうとする意識がいちばん大切だった。「自分とは違う普通」があるという理解が選手面でも深まった。一つの魔法は、なかった。」 小林優太主将(24)は「大会が近づいた合宿での大浴場で、手話を使うかどうか関係なく、選手たちが会話していて感動した」という。「まずはスポーツを楽しむ心で、選手や指導者が相手に歩み寄ることが欠かせないと思います」 聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」では、筑波技術大の在学生と卒業生の選手計17人が世界に挑んだ。聴覚障害のある同大の学生たちは開閉会式に出演したほか、100人超がサポートスタッフとなり、大会を盛り上げた。誰もが輝ける社会を目指し、聞こえない・きこえにくい若者たちが、大会を通じて私たちの心に刻んだこととは?(この連載は大野孝志が担当します) 本文ここまで、以下写真 写真左上 最終戦でケニアの攻撃を阻む林遼哉選手(左)と小林優太選手(右から2人目) 写真左下 世界初勝利の目標を達成したハンドボール男子日本代表の選手とスタッフ いずれも東京・駒沢屋内球技場で 写真右下 試合終了後に涙する小林優太主将とねぎらう亀井良和監督 ​